名将に学べ!part3

どうも、もりーです。

このシリーズも第3回でございます。

第1回に関してはTwitterで拡散までしていただけました。

日々感謝、そして日々研鑽ですね。

戦国武将とか全然知らないよ、っておっしゃる方にも

受け入れてもらえるように明日から使える考え方も織り交ぜてますので、

ちょっとした読み物とか、やさしい自己啓発くらいの感覚で

触れてやってはもらえませんか?

では、そろそろ第3回のはじまりはじまりー。

part1から皆勤のあの武将

今回は武田信玄のエピソードを引っ張ってこようかなと思います。

名前だけならすでにpart1part2ですでに出してますが、

エピソードについては今回が初となる信玄。

史料も信長ほどではないにしても十分にあるおかげで、

なかなかに有名人ですね。詳しく知らない人でも「風林火山」とかは

聞いたことがあるんじゃないでしょうか?

そんな信玄のエピソードでも幼少期~甲斐国を手中に収めるまでを

ピックアップしてみたいと思います。

甲斐国に武田信虎の子として生を受けた信玄。

どういうわけか13歳ごろには実父信虎に憎まれるようになります。

信玄は父の憎しみを感じ取って、いずれ殺されかねないと考えました。

そして、弟である信繁よりも劣っているように見せたのです。

死体の試し斬りやってみ、と言われたときには

わざと怖がって失敗してみせたといいます。

そうやって「うつけ」を演じていた信玄も20歳になり、

転機を迎えます。実父と絶縁するのです。

父を駿河国へ追放、そして甲斐国への再入国を禁止して、

信玄は甲斐国の盟主として躍進を始めたのです。

無能を装う有能さ

信玄のこのエピソードは己の身を守るという意味では

賢い選択だったのかなと思います。

あまりにも有能であれば嫉妬や反感をくらいやすいものです。

逆に無能っぷりをアピールしておけば、

取るに足らないヤツといって放っておいてもらえます。

もちろん無能を装っていても信玄を慕う家臣がいたからこそ

後々甲斐国の盟主として君臨できるのですが。

もし信玄が有能ぶりだけをアピールしていたら、

歴史が変わっていたかもしれませんね。

この記事を読んでくださるあなたはきっと有能で、

人望の厚い方だと思っていますので、

周囲のしょうもない嫉妬とか反感から逃れるすべとして

信玄にならうというのもありかもしれません。

 

誰しも自分がよく見られたいという思いはあるものですが、

あえて「うつけ」を演じる勇気。

「うつけ」を演じていても支持してくれる人はいますから。

そんな人おらんよ!と言いたくなるのであれば、

私があなたの支持者としてあなたの支えになってみせましょう。

 

…そのためにも私はもっと有能な存在であらねばなりませんね。

せめて、あなたから信用してもらえるくらいには。

 

心機一転、精進してまいります!

今回はこのあたりで。

ほんじゃあね、もりーでした。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする