鍛えるイメージ

どうも、もりーです。

「嘆きの穴」についてのまとめを作ってみました。

詳細はこちらからどうぞ。

こんなんあったらいいなと思ったのをきっかけに

自前で調達しました。

使う人が「あってよかった」と思ってくれるなら

それが一番いいことですし、

使われないのならそれもまたよしと思ってます。

使われない=吐き出す必要がない

だと思ってますので、私みたいに苦しいと感じている人が

いないということになるかなと思います。

ではそろそろ今回のお話に移りましょうか。

鍛練ではなく鍛錬

剣道の心得がある方はピンと来るかもしれませんね。

「鍛練」も「鍛錬」も意味合いとしては同じです。

辞書には【心身・技能を鍛え磨くこと】とあります。

ただし、ニュアンスがちょっと違うんですよね。

糸へんのほうは編み物のようなニュアンスです。

自身の技能を織り上げていって、織物を形成していくイメージ。

固くできてもせいぜい綱引きの綱くらいが限度です。

金へんのほうだと金属を鍛えるようなニュアンスです。

自身の技能を鉄に見立てて、焼いて、水につけて冷ましてを繰り返す。

まさに日本刀のようにしなやかで、研ぎ澄まされたものを

作り上げるイメージ。糸よりは固いですよね。

自身をたとえてみる

どちらが正解というわけではありません。

あなたのイメージに合うほうでOKです。

あくまでも剣の道を志す者なら「鍛錬」であれ、

というだけの話です。

刃物のような鋭さは持ち合わせていたくないというのであれば、

織物のような柔らかく、温かみのある「鍛練」で。

織物より固くしたいと思うなら、

刃物のように固く、鋭く、しなやかな「鍛錬」で。

 

私は「鍛錬」でありたいなと思ってます。

かつて剣道を通った者としての感覚であったり、

抜き身の刀のようなイメージを自身に抱いたこともあるので、

「鍛錬」のほうがしっくりきそうです。

平時は人を傷つけないように鞘に収まり、

いざとなれば業物ぶりを発揮できる。

そんな人であれたらと思います。

なまくらにならないように努めていかねば…!

 

ほんじゃあね、もりーでした。

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