使い勝手のいい言葉から

どうも、もりーです。

先日珍しいことに「やさしい人ですね」と言われてしまいました。

…いやいや、そんなことないんですけど。

と思いつつも言葉通りに受け取っておきましたが、いい機会なので、

やさしいとはどういうことなのか考えてみますか。

そもそもやさしいとは…

辞書上の定義としては下記の2点。

 おだやかで思いやりがある

・ 上品で優美だ

なるほど。少なくとも「上品で優美」という感じはないな。

「おだやかで思いやりがある」っていうのは見方によってはそうかも。

「上品で優美」を否定するのは、自身のかつての時として苛烈な思考ゆえ。

あわよくば出し抜いてしまえ、蹴落としてでも自分が優位に。

他者に食い物にされたという思いが、他者を食い物にしてやるという

憎悪交じりの感情を育て、それに身をゆだねていたこともある。

自己中心的な選民思想にとらわれていた時期もあった。

こういう要素を自覚しているからこそ「上品さ、優美さ」がそぐわない。

「おだやかで思いやりがある」そう思われるなら、怒らないから?

もちろん怒りを感じたりとかはあるけど、表立って出さなくなったから?

確かに怒らないならおだやかそうには見えるかもしれない。

怒らないことで、目の前の相手の怒られるさまが察せられると見えて、

思いやりがあるように見えるのかもしれない。

…人を怒らなくなったのもつい最近のこと。理由は無駄だと思ったから。

怒っても相手は変わらない。だから無駄だと。

(腹のうちは怒りで満ちてることもあるけど…)

あとは自分が怒られる側にいすぎたせいもあるかもしれない。

怒られることから感じるものにロクなものはないと思えたのかも。

 

経験が己を作る

「やさしい」と評される自分を構築してきたのは過去の経験と、

現在の行いでおおよそ間違いないでしょう。

なりたくてなったわけではないが、「やさしい」と評される自分もいる。

それがただ事実であるなら、受け入れてしまってもいいのかもしれない。

他者の見る自分像の再現も、期待に応えようと行動することも、

これまでで経験済み。もちろんその末路が苦難の道のりになりうることも。

「やさしい」と言うのは「易しい」

「やさしくあれ」とするのは「易しくない」

言われた評価を体現できるかはわからなくても、

自身のあり方を決めることくらいはできるだろう。

自身を構築するのは最終的には自身でしかないのだから。

 

今回はこのあたりで。

ほんじゃあね、もりーでした。

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