もりーとは何者?part7

どうも、もりーです。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

part7に突入です。ここまでになるとは…

継続して読んでくださってる方が飽きないような物語に仕立てていけたらと思っています。

引き続きよろしくお願いします。

(part6まではサイドバーからどうぞ。)

貧困労働者、金の減る流れ

派遣社員としての生活が始まったもりー。

勤務先はとある工場。ガラス加工が絡む職場だったので、

稼働中はガンガン炎を使ってました。

夏場は冗談ではないレベルで暑かった。

そのうえ職人レベルの技術が要求された。

ガラスの焼きを覚えるには最低5年、10年はかかる、

と先輩方から言われた覚えもある。

あとは派遣社員特有の本社社員との隔たりも少しあった。

フィリピンやベトナムから来ている留学生もいた。

一か月頑張って残業代とかも込みで18万円程度の給料。

少なっ、と思ってしまった。

バイト時代のほうが稼いでいたような気がした。

投資した事業は閑古鳥が鳴いていた。

内容は総合サロンみたいなスペースを運営するというものだったが、

客0人が連日続くのはもはや当然になり、

来ても知り合いがお情けでお金をおいていく程度だった。

そんな状況で長続きするはずもなく、

半年くらいでたたむ結果となった。

僕は金銭的な損失よりもA氏が法的処置を経由したうえで、

月1万円ずつでも返済して、

絶対完済するからと言ってきたことのほうがこたえた。

重い足枷を課したような罪悪感を感じていた。

会社の終わりと不労所得への意識

仕事では相変わらずの暑さと技能習得に頭を抱え、

私生活では増えない収入に頭を抱えた。

A氏とはその後もちょくちょく会っていた。

会って話を聞きつつ、飯を食いに行ったりして遊んでいた。

ウマが合ったというのもあるが、仲間が欲しかったのかもしれない。

競馬にがっつりハマったのもこの頃だった。

元々ゲームで知識があったとか、

現地に1回だけ行ったことがあるとかの話から

A氏に連れて行ってもらったことがきっかけだった。

最初は負けてても面白かったが、

せっかくなら勝てないかと模索した。

有料の情報商材に金を使ってもみたが、結果はイマイチだった。

そうこうするうちに会社がなくなるよという話が来た。

再就職先をどうしようかと考えざるを得なくなった。

同時に働きたくない気持ちも大きかった。

そんな気持ちがネットでふと見かけた簡単副業とかいうものに

50万円投資させた。が、何も起こらなかった。

仕事も決まらない、副収入のメドも立たない。

と思っていた時に鳥取の案件が降って湧いた。

東京残留も考えたが、目の前にある確実な仕事をとってしまった。

もりー30歳、12年ぶりに鳥取に戻ることが決まった。

続く

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