もりーとは何者?part3

どうも、もりーです。

part1part2で、もりーの人生史の前半15年間が終了です。

ここまで読んで僕に興味を示してくれた方はぜひご連絡ください。

Twitterもやってるので、気軽に接触してもらえればと思います。

もしどちらもまだ読んでないという方がいらっしゃるなら…

読んでみてほしいと思います。

ここから始まるpart3はある意味成功体験です。

part1part2での僕の苦悩とかを知ってもらっておいたほうが、

対比できていいと思います。

(part3でも苦悩とかは出てきますが…)

長い前置きは嫌われますからね、そろそろ始めましょう。

使命感、責任感を抱える浮いた存在

もりー、高校デビュー。

…言うほど華々しくはないですよ。

「高校3年間、孤独と友達になるんだ!」とか思ってましたから。

外見も内面も特に変わりはなかったですね。

ただ、学校からの待遇は無視できなかった。

周りが月に3万円くらいの学費を払って高校生活を送る中、

僕は月0円の学費だった。

それは学校の期待、言い換えれば進学実績を出してねという

無言の圧力に感じた。

でもそれを自分の使命、果たすべき責務だと思って肝に銘じた。

入学前からある程度察していたのと、期待してもらえている、

人から必要とされているという感覚が重圧をマヒさせた。

勉強に集中できる環境も整っていた。

優秀な先生方、他のコースより1時限多い時間割、自習室あり。

今となっては高校に3年通ったというよりは、

予備校に3年通ったと冗談めかして言ってます。

そんな環境の中で彼女ができて、童貞捨てたりとかもあった。

みんなで勉強を教えあったりとかもした。

とある英語の先生に辞書みたいな参考書の英文全部3回書いて、

3か月以内に提出しろと言われたこともあった。

みんなで文句言いながらその課題を完遂して模試に臨んだら、

英語の偏差値が20くらい跳ね上がってびっくりした。

当時を振り返ると、割と面白かったのかなと思えてきた(笑)

でも、高校時代の思い出に影を落とす転換点を迎えてしまった…

居心地の悪さ、孤独を勉強でごまかす日々

当時横暴なところのあった僕に愛想を尽かしたのでしょう。

彼女が別れを告げてきました。(2年の終わりくらいかな?)

その当時の僕の未練がましさは今思い出してもひどいの一言。

詳細は割愛しますが…(笑)

別れただけなら問題なかったのですが…

別れた彼女が同じクラス、しかもクラス替えという概念のない環境だったのが追い討ちをかけるようだった。

彼女と付き合っているうちに周りと溝ができていた。

溝に囲まれるようにして孤独を感じた。

昼休憩、皆が昼飯をつつく中、居心地の悪い教室から

逃げるようにして自習室に向かい、英語や数学の参考書に

向かって、問題を解き続けた。飯も食わずに。

母親が弁当を持たせてくれていたが、学校では食べず、

17時頃に家に帰ってから弁当を食べていた。

母親にあまりにも申し訳なくなって、近所のスーパーで昼飯買うから弁当作んなくていいよと言って、お金を渡してもらう形にした。

それでも申し訳なくて、もらったお金もろくに使えなかった。

人生を変えた選択②

進学先を考えるような時期にそんなザマだったが、

ミッションはクリアされていなかった。

学校の理想としては国公立の実績が欲しいようだったが、

気持ちは文系私立に向かっていた。

文系と言っても法律、経済、などの実学の分野には全く惹かれなかった。むしろ拒んでいた。

その代わり、心理学、哲学にはすごく惹かれた。

そんな中で、自身の学力、ネームバリューを鑑みた時に、

中央大学の哲学専攻という選択肢を見つけた。

目標を定めたが、学校に義理立てする気持ちで、中大の受験には必要のない数学、理科もやって、センター試験も受けることにした。

そして3月、晴れて中央大学の合格を勝ち取った。

同時に国公立も静岡大学の合格を手に入れた。

中大合格は僕よりも母のほうが喜んでました(笑)

意気揚々と学校の先生方に実績作ったつもりで報告に行って、

とある先生には「それは実績とは言えない」と言われ、

またある先生には「実績作りのために勉強してたの?馬鹿じゃないの?」と言われる始末だった。

学校のために頑張ろうと思って(多少妥協したところもあるけど)やってきたことは一体何だったんだ?と思った。

高校生活の最後の最後で、学校に裏切られたような思いだった。

そうこうしているうちに高校卒業を迎え、新天地中央大学を目指し、慣れ親しんだ鳥取を離れ、東京へと向かうのであった。

続く

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